やさしい気持ちになるための日記

抑鬱持ち独身女性の素のままに

新卒1年間を振り返って【職場②:前半】

前回の投稿から1日空いてしまいましたが、今回は前回の職場の退職後について書いていきます。

 

まず、先日お話をした職場を辞めると決めた時、私は辞めることしか考えていませんでした。その為、親に「辞める」と伝えた時は、「辛いなら辞めてもいい。だけど、次の職場が決まってから辞めなさい。」と言われました。

 

実家は元々そんなに裕福な家庭ではなく、平凡な普通の家庭です。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、私、妹、ペットのわんちゃんの6人家族です。賃貸の一軒家に住んでいて、少し古めかしい部分もあります。例えば、表面が紙で作られているふすまに破れた穴が空いていて、そこを和紙補修シールで隠していたり、お手洗いの扉の取手が昔取れてしまい、今もずっと取手部分がない代わりに扉前に暖簾をかけて中が見えないようにしていたり、網戸が開きにくかったり。あと、昔あった大地震の影響で家全体が少し傾いていたり。

今の自分が住んでいる一人暮らしの部屋は一昨年できたばかりの新築でとても綺麗です。取手の形も、洗面台の蛇口の形もお風呂の見た目もお手洗いの形も全て実家とは違っておしゃれです。

その為、帰省するたびに何度も親にはもっと綺麗で安全な家に住んで欲しいと思う反面、その古めかしい雰囲気や懐かしい思い出が詰まった実家が愛おしくなります。

 

引っ越して欲しいと思うけれど、それ以上に生活費にかかるお金が多すぎて引っ越しができるほど我が家にお金は正直ありません。その為、仕送りなどもありません。本当にお金に困った時は親に相談して出してもらいますが、私ももう学生ではなく、大人です。本来ならば私が親にお金を仕送りするべきです。

 

少し余談が入ってしまいましたが、このような私の家庭事情から私が働くことを辞めてしまい、〝ニート〟になると私自身の生活が困ってしまいます。

 

ただ〝辞める〟だけではなく、次の自分の居場所を見つけてからではないとこの場所からは逃げられないと学んだ私は、早急に求人募集サイトで仕事を探しました。

 

そこで見つけたのが、職場②です。

職場②は、大学で学んだことは何も役に立たないほど全くの別世界の職業でした。〝興味とキラキラな世界への憧れ〟。単純な思いで私は別世界へ入りました。

 

 

前職では私服通勤だったのが、スーツ通勤に変わったことは学生の時に初めて制服を着て入学式に行った時と同じくらいの新鮮な気持ちでドキドキワクワクでした。腕時計をつけ、スーツの上からお気に入りのコートを羽織って初めて出勤した時は、なんだか前職では感じなかった〝憧れの都会でキラキラ働く女性〟になれた気がしてかなり照れました。

 

最初はキラキラな世界に入れたことが嬉しくて、苦手なことも積極的に行って頑張れました。ですが、やっぱり新卒とは違って私は〝第二新卒〟という名の〝中途社員〟です。どちらかと言えばほぼ中途社員ですので、最初から求められていることが違います。中途は頑張っているだけではダメなんです。それでは新卒と変わりありません。世の中、頑張ることは当たり前です。例え、新卒時代、半年しか働いていない者であっても。

 

電話対応、言葉の使い方、気の遣い方、努力の仕方、立ち振る舞い。全て前職とは異なり、たくさんお叱りをいただきながらも私は約3ヶ月半程、少しずつですが成長することができました。

 

特に気の遣い方には何度も注意やお叱りを受けました。

 

前職では上司が何か物事をしている時に「すみません、今少しお時間よろしいでしょうか?」と話しかけると「今何してると思う?」と聞かれ、「どこまでやったか〇〇のせいで分からなくなった」「考えていたことが〇〇のせいで抜けてしまった」などと怒鳴られてしまい、そうなるともう私に仕事が回ってこなくなったり、職場全体のピリついた空気が一日中続いてしまいます。

 

その為、いつも上司が今何をしているのか。今考え事をしている時間なのか、それとも休憩をしている時間なのか。常に顔色や行動を伺いながら、話しかけていました。何かの作業中や考え事をしていたら、その行動が終わるまで待ってから話しかけていました。それが前職の〝当たり前〟でした。

 

新卒で学んだ社会人のルールがそれであったことから、中途で入った職場でも同じようなことを度々行っていました。するとある日、先輩から「気遣いって言葉知ってる?」というお話をしていただき、前職では当たり前であっても、それが〝社会人としての当たり前〟とは違うことに気付くことができました。

 

また、別の先輩の方にも「気を遣うという意味を間違って理解して行動していると思いますよ」とお叱りをいただき、〝気遣い〟について教えていただきました。そこで教えていただいたことは、「もちろん時には〝待つ〟ことも大事です。ですが、〝待つ〟だけではダメなんです。待っている間にもできることはたくさんあります。先輩が行っている仕事が早く終わるように、先輩の次の行動を先読みしてお手伝いをするとか。先輩が今何をしているのかを理解して、話しかけていいような簡単な仕事をしていたら、一言だけ〝すみません、質問があるのですが、今お時間よろしいでしょうか〟と言葉をかけてから話し始めることとか。それで無視をしたり怒る先輩なんていないから。〝気を遣う〟とは、今話しかけてもいいのかな?今話しかけたらいけないかな?と悩みながら相手の行動を待つことではなく、今どうしても話しかけなきゃいけない案件なのかを自分で判断した上で、話しかけられる空間を自分から作っていくことですよ」と教えていただき、考え方を変えることができました。

 

ですが、〝それが〟〝それだけが〟正解とは限りません。前職でのやり方も中途で入った会社のやり方も全て正解だと思っています。結局は、上司の性格や会社のやり方によって自分の気の遣い方を変えていかなければいけないんです。

 

職場を変えたことで私はそのことを社会人のルールとして1番学んだ気がします。一つの会社でずっと働いていたら、その会社の当たり前が社会人としての当たり前だと認識してしまう私にとっては、それが転職のメリットなのかなと思います。

 

「頑張らないと」「もっともっと私は努力しないと」「私の頑張りはまだ努力とは言ってはいけないレベルのものなんだ」毎日そう思いながら必死に先輩たちの姿を見て学んでいました。

 

自宅ではできないような練習は、朝早く会社に来ておこなったり、全員帰った後も終電ギリギリまで職場に残って練習をしていました。ですが、私の勉強や練習の仕方が悪かったのか、不足していたのか、普通の方ならできるようになることも私には毎日が精一杯で、できるようになるまでかなり時間がかかってしまいました。そんな私の姿をみて先輩方からもよく「〇〇さんの今後が不安」や「やる気ないようにみえるよ?」とお叱りをいただくようになりました。また、私の勉強ノートをみて、「努力の仕方が間違ってるんじゃない?」「書くだけで絶対満足してるでしょ?」「自分のことをこれで頑張ってるなって思ってない?これは頑張りに入らないよ」と言われ、心の中で「これでも毎日いろんな方法を試しながら休日や寝る時間を削って私なりに頑張っているのにな」と悲しくなることも多くありましたが、周りから見て〝出来ていない〟と思われている間は、どんなに頑張っていても、頑張っていると自分で思っていても、〝頑張っています〟という言葉は口に出せませんでした。

 

徐々に一人の先輩の態度が他の方と私で異なり始め、私が話しかけた時は一度も目が合うことなく一言で返していたのに対して、私と同じ台詞を別の方が言うと、笑顔で更にお話を盛り上げていてその様子を目の前で見ながら胸がチクチクと痛くなりました。

 

暴言、と私が言ってしまったらいけないとは分かっているのですが、そのようなことを言われることも多々ありました。

 

また、一人に話した内容が次の日には職場全体に広まっていて皆が把握していたことは、情報共有だったとしてもプライベートに関する内容であった為、少し怖かったです。その他にも、私の前ではニコニコと振る舞ってくださっていた方も、私のいないところで私とのやり取りのお話しを行い、その後そのやりとりについて直接「〇〇さんから聞いたんだけど、迷惑だって気づかない?」「私は思ってないけど、みんなはそう思ってると思うよ」とお叱りをいただいたこともあり、みなさんの裏の様子を知ってしまってからは笑顔の奥の裏の表情まで考えるようになってしまい、周りが怖くなりました。(やりとりの内容は、迷惑をかけてしまった先輩に長文の謝罪メールを送ってしまったことです。長文のメールを送ることに対して、迷惑だって思わない?とお叱りをいただきました。)

 

もちろん悩んでいる時、辛い時、お話を聞いて下さる先輩もいましたし、みなさん積極的に「お話聞きますよ」と相談に乗ってくれるほどとても優しかったです。ですが、その時の私は半分職場の方を信じられていない部分や怖がっていた部分もあり、話すことによって違う人に話が漏れてしまうんじゃないかなどと思うと少し怖くて素直に辛いことも本当に悩んでいることも話せませんでした。

 

 

前職で〝自分のことでいっぱいいっぱいになって周りの方の優しい部分を私は知れていなかった〟ということを学び、みなさんの優しさに触れた時に自分の醜さに後悔したはずなのに、どうしても優しさの深いところまで考えてしまう自分がいて、またネガティブな感情が暴走し始めてしまいました。

 

 

 

→【職場②:後半】に続く

 

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りりべあ