やさしい気持ちになるための日記

抑鬱持ち独身女性の素のままに

ヒガミという感情が無い世界

 

今期でやっている『メンタル強め美女白川さん』というドラマを見てる方はいらっしゃいますか?☺️

 

このドラマは今の私のメンタルを支えてくださっている作品です。自分がずっと悩んでいたことを、主人公の白川さんが前向きな思考で一つずつ解決してくれます。見ているだけで心が綺麗に浄化される、こんな女性に私もなりたい。病院でもらう薬よりも精神を安定させるといった効果のある素敵な作品です。

 

このドラマの主題歌である、こはならむさんの『私の幸せは私が決めるの』という楽曲とAnnaさんの『私の道』という楽曲もとても前向きな歌詞になっていて、自分がネガティブモードに入ろうとした時にいつも聴いています。すると、勝手に思考が前向きになれるんです。

 

ヒガミという感情ポイして日々研究

 

私も素敵 あの子も素敵 それが一番じゃん?

 

誰かと比べて落ち込んで、そんな自分はもうやめるの

 

甘いご褒美食べて、可愛くおめかしして、さぁ、また私を更新する

 

働いていた頃、何度も何度も周りの方と自分を比べて落ち込んで、あの人はとても素敵なのにどうして私はあの人のようにはなれないんだろう。あの人と同じことをしてもどうして私だけ認めてくれないんだろう。私はダメ人間なのかな。生きていていいのかな。ここにいて、本当にいいのかな。

 

そう思えば思うほど自分を責めて、苦しめて、追い詰めていました。自分自身をボロボロにさせたのは、誰でもなく、私なのです。だからこそ、この二つの楽曲の歌詞を聴くと、なりたかった自分の理想像を思い出して、まだやり直せるって思えるんです。

 

ドラマの中でもよく出てくる〝白川マインド〟というフレーズ。白川さんはいつも強くて可愛いです。目の前で陰口を言われても、雑誌に写っている自分の顔を黒く塗りつぶされていても、無視をされても、『私は私』。誰かをひがむことなく、責めることもなく、いつも誰かの心に寄り添って前向きな心と優しさを振り撒いています。

 

白川さんが陰口を言うことも、噂話をすることもありません。陰口を言われても、言った相手を憎んだりもしません。むしろ、彼女達の素敵なところを見つけたら、素直に褒めたりしています。本当に、裏心なく、素直に。

 

白川さんにも辛い過去があります。それでも、〝今が大事〟。彼女はいつもそう言って、今生きている自分を大切にしています。

 

白川さんは昔から私がずっとなりたいと思っていた女性像そのままでした。

 

 

誰かの噂話を聞いても、『見ざる🙈聞かざる🙉言わざる🙊』。噂話なんて真実かどうかもわからない。だからこそ、自分の今、目の前にいるその人だけを信じる。自分の目で直接見て、聞いて、言われたことだけを信じると白川さんは言っていました。その噂話が本当だったとしても、それでもいい。白川さんの人の心を大切にしている、そんな姿が私は大好きです。

 

作品とは少し離れる余談を入れますが、欅坂46さんの『エキセントリック』という楽曲にも

 

あいつがああだって言ってた

こいつがこうだろうって言ってた

差出人の無い噂の類 確証ないほど拡散する

 

意外にああ見えてこうだとか

やっぱりそうなんだなんてね

本人も知らない僕が出来上がって違う自分存在するよ

 

あれってああだって聞いたよ

本当はこうらしいって聞いたよ

推測だらけの伝言ゲーム

元のネタはどこにある?

 

絶対誰にも言うなよ

ここだけの話って耳打ち

漏れない秘密、いつも筒抜けで

口が固い奴などいるものか

 

この歌詞を最初聴いた時、衝撃を受けました。この歌詞を書いた秋元康さんは本当に天才だなと思いましたし、これを歌っている彼女達も胸にずしんと重いものを置いてくるような重々しい空気感と、それに伴い誰かを信じたくても信じられないという切ない気持ちも含まれていて、一気に彼女達の世界観に引き込まれました。

 

私も人間なので、やりたくなくても、自然と噂話をしちゃう時もあります。その度にいつもエキセントリックのこの歌詞を思い出して、「私が今、誰かにこの聞いただけの話をすることによって、本人の中には無い新たな人物を私が勝手に作り出してしまうことになる」と気付かされてしまい、やめます。

 

私自身も昔、私がやったことでは無いことを私がやったという嘘の事実になったまま噂が流れていたことがあります。今考えると、あの時、確かに私の知らない私が勝手に出来上がって、違う私がみんなの中に存在していました。こんな経験があるからこそ、余計にこのもどかしい感情を歌詞にして、世に広めた秋元さんは凄いです。

 

話は白川さんに戻りますが、このように噂話をすることによって、得なことなんて何もありません。もしかしたらその噂話は昔の話かもしれない。その噂話が消えない限り、現在の彼女の居場所はどこにあるのでしょうか?

 

私が噂話をすることよって、現在の彼女がいないことになってしまう可能性だってありますし、彼女の変わったという努力を無駄にしてしまうこともあります。だからこそ、今、目の前のいる〝現在の〟彼女を私がちゃんと近くで見ていきたい。私が彼女の尊敬できるところ、素敵だと思うところを見つけて、大事にしていきたい。

 

 

人と比べてしまうことに対しても、白川さんは〝忍法、自我消滅〟を使って対処しています。

 

「私」というフィルターを通して誰かを見るとついつい自分と比べたりして苦しくなるから、透明人間になったつもりで、誰でも無い視点で「その人」だけを見る。

 

すると、「あの子は可愛くて性格も良くて結婚して素敵な旦那さんもいるのに、私はどう頑張ってもあの子にはなれない。敵わない。」という思いが、「あの子は可愛い」「あの子は性格が良い」「あの子すごく幸せそうだなー!よかったなー!」という思いだけが残る。そうすることで、ヒガミという感情や嫉妬という感情がなくなり、素直にただただ相手の幸せを喜べる。

 

この回を見たときは、本当に作者さんのこの発想が素敵すぎて心を洗われました。どうしたらこのような発想が思いつくのか。毎回発想に驚かされます。

 

白川さんになりたい、という想いもありますが、一番は作者である獅子さんの思考を尊敬しているという想いの方が強いのかもしれません。

 

社会人になり、確かに私はボロボロな人間になりました。今では崖っぷち生活すぎて、いつ周りの方が私から離れて行ってもおかしくないくらい、毎日生きていくだけで精一杯です。

 

そんな私を救ってくれたこの作品。

私が前向きになれたのも、なりたい自分に向かってまた頑張ろうと、更生していこうと思えたのも、全て白川さんというドラマに出会ったからでした。この作品の良さは、白川さんだけではなく、白川さんを尊敬して憧れている町田さん、梅本さん、林檎ちゃん、倉橋くんといった登場人物も魅力的なんです。この4人はなにがあっても白川さんの心強い味方でいて、どんなに白川さんが陰口を言われていても離れずに、むしろずっと近くにいてくれて白川さんを支えている素敵な方達なんです。

 

もっと、もっと、素敵な女性になりたい。

もっと、もっと、心の綺麗な方になりたい。

もっと、もっと、素直に周りの方の素敵な部分を見つけて、尊敬して、白川さんのように常に誰かを前向きにできる心の支えになりたい。

 

みんながみんな、同じ性格ではないため、時には合わない方や苦手だと思ってしまう方もいます。

それでも、その方の中にも必ず尊敬できる部分はありますし、自分が好きだなぁと思える部分も必ずあるはずです。苦手だと思う部分は華麗にスルーをして、好きだと思う部分を私は大事にしたい。無理に付き合うということではなく、自分に合った距離感でいることが大事なんだと思います。

 

町田さんも、白川さんも「仲良くしたい人は自分で決める」と言っていたように、私も、仲良くしたい人は自分で決めます。

 

 

一度好きになった人や一度大切だと思った人を嫌いになることなんて一生ありません。どんなことがあっても、その人の素敵な部分は誰よりも私が知っているから。むしろ、昔嫌なことをされて苦手だった人も、今は素敵な人になっていて、大好きに変わった方もいます。

 

綺麗事と言われても構いません。

苦手に変わることは時にはありますが、嫌いにはなりません。苦手と嫌いは違います。苦手なら少し距離感を変えれば解決できます。離れすぎず、近すぎず。その距離感を保っていれば、相手を傷つけることも私自身を傷つけることもなく、ただ相手の好きな部分だけを見ることができます。

 

 

そうやって私も心の中に、〝小さい白川さん〟を飼いながら、自分自身の心も大事にしていきたいです。

 

 

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りりべあ

 

 

お久しぶりです

 

最近転職活動に追われていたため、なかなか書けていませんでした。

 

6月に入ってから、大好きだったInstagramから距離を置きました。Instagramは、大好きな人たちと連絡が取れていなくても、離れていても、いつでも繋がれているような気がして大好きです。ですがその反面、自分自身が辛い時、寂しい時、その存在に甘えてしまいます。辞めよう、今日こそ辞めよう。そう思っていてもつい甘えてしまうんです。甘えてしまった後は、後悔と罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになります。

Instagramを辞めるということも考えましたが、Instagramでしか繋がれていない学生時代の友人がたくさんいるため、辞めてしまうともう連絡が取れなくなってしまうかもしれません。それは避けたいと思い、いつでもログインしたら戻れるよう、アカウントは残したままアプリを消しました。

 

 

Instagramを辞めてから少し心が軽くなった気がします。友人関係に悩んでいたわけではなく、人に依存してしまっていた自分が少し自立できた気がして、自己嫌悪をする機会が減ったからです。大好きな方達の近況が見えなくなったことはとても寂しいですが、なりたい自分になるためには必要なことだと自分で思っているため、今は自分を変える期間と言い聞かせて前向きに頑張っております。

 

転職活動を始めたからといって、完全に抑鬱が治ったわけではありません。今も薬を飲んでおりますし、人が密集している場所に一人で行くと酸素がうまく回らなくなって呼吸が苦しくなったり、冷や汗、全身の痺れ、吐き気、視界が真っ白になって立つ気力さえ失い、立てなくなるといった症状が頻繁に現れます。夜も一人が怖くなって眠れない時もありますし、一日中何も考えられなくなってただぼーっとする時間がゆっくり流れていく時だってあります。

 

特に金銭面では親に相談できず、友人にもこれ以上借りるわけにもいかないのでギリギリで生きています。家賃、光熱費、奨学金合計で10万以上かかるので払えるところまで払って、残りは延滞してもらっています。

 

「働かざる者食うべからず」

本当にその通りです。だからこそ、自分で解決したいです。友人や周りの大人から借りなければ正直私はもう生きていけません。ですが、そのお金はその方が一生懸命働いてきた証拠です。がんばった形跡です。そのお金は、がんばった自分自身のご褒美として使ってほしいです。働いてもいない私が使っていいものではありません。そう考えると、どれほど今の自分の生活環境が厳しくても、お金を借りることはできません。

 

私は、今までの人生でたくさん辛いこともありましたが、それでも幸せな時間を過ごした時の幸福感が今でも忘れられず、たくさんの素敵な方々に囲まれて素敵な人生を歩んできたと思えます。

 

それに、こんなにも落ちぶれてしまった私を見て、笑わずに優しく手を差し伸べてくれる方や、離れずに支えてくださる方がいる。

それだけで、充分幸せです。幸せすぎます。こんなにも幸せなことはありません。

 

もう、「死にたい」なんて言葉は口には出しませんが、強くそう願っていたあの頃とは違い、今は「充分幸せな人生だったから、いつ死んでもいい」と思っています。自分から死を望むのではなく、その時が来たらそれも私の人生なのかなって。いつ死んでも私は幸せです。

 

なので、今はたくさんの大人の方や友人に迷惑をかけてしまっている部分もありますが、なるべく一人で生きていけるよう、毎日考えながら生きています。

 

今手元にある500円が全てなくなってしまったら、私はどうなるんだろう。不安に毎日襲われますが、そんなことを考えるよりも先に職を見つけて少しでも早くご迷惑をお掛けしてしまった大人達に、友人に、お金を返せるように必死で職探しをしている段階です。

 

 

先日は一社面接に受けに行きました。

ですが、面接の際に私だけではなく、親や姉妹の個人情報を深く聞かれてしまったことに恐怖と不信感を感じてしまい、選考を辞退してしまいました。

 

また、その面接時に自分が〝抑鬱持ち〟だということを隠せなくなり、正直にお話ししました。

その際に、やっぱり今改善しようといくら努力をして少しずつ前向きに前進していても、少しでも過去に〝抑鬱〟という経歴があればその努力も関係ないんだなと思いました。

 

「なんでこの世界は鬱の方々に優しくない社会なんだろう」

 

「もちろん先輩は正しかったのかもしれない。それでも私は精神的に辛かった。パワハラを受けている気分だった。でも、それを私がパワハラと決めつけてしまえば、全て先輩が悪いことになってしまうからそれは違う。でも、なんで、私だけがこんなにも崖っぷちで生きていかなきゃいけないんだろう。」

 

と帰り道に何度も何度も思って、涙が溢れそうになっても「私は大丈夫、変わってきてるんだから大丈夫。もう泣いちゃダメ。泣いたらまた元に戻っちゃう。」と頑張って堪えましたが、それでも胸の痛みは治りませんでした。

 

面接で、退職理由に〝パワハラを受けておりました〟なんてことは言えません。なのでどんなことであっても、〝自己都合〟となり、会社側からしてみたら〝精神力が弱い人間〟。それだけが残ります。

 

実際にそれは当たっています。私の精神力は弱いです。お豆腐メンタルかもしれません。それでも頑張って限界まで耐えてきたつもりでした。私なりに、私の限界を越えるまで我慢してきました。強く、強くなろうって何度も言い聞かせて逃げずにやってきたつもりでした。〝つもり〟です。

 

頑張っていたかどうかなんて自分で決めるものじゃなく、周りから見た他人が判断することです。なので、いくら自分では必死で頑張っていてもそれが周りに伝わっていないと、結局は〝つもり〟なんですよね。きっと。それを前職で学びました。

 

「頑張っています」「頑張りました」「努力しました」全部、全部それは〝綺麗事〟。誰も認めてくれないから自分で自分を認めるために使う言葉です。「頑張っているね」「頑張ったね」「努力してるね」その言葉を言われて初めて、〝頑張った〟〝努力した〟って言っていいんだなって学びました。

 

 

一度鬱になってしまえば、転職は厳しい道です。お金がなくなる一方です。鬱になってしまう人なんて当然どこも欲しがりません。なので面接では強がる必要があります。もちろん、面接だけではなく、入った後はもっともっと強がって生きていかないといけなくなります。

 

「またダメにならない?大丈夫?」

「ここではもう失敗しちゃいけないんだよ?強がって生きていく覚悟ある?」

 

求人を見つけては何度もそう自分に問いかけ、覚悟を決めた時に応募するようにしていますが、私だけではなく私と同じように悩んでる方はこの世界にもっともっと沢山いるはずです。

 

みんなはどうやって生きているんだろう。大丈夫かな。と心配になります。

 

 

だからこそ、もっと、もっと、日本中が〝鬱〟と戦っている方々に優しい社会になって欲しいなって強く思います。その方の過去ではなく、変わった現在の姿を大事にしてくれる会社がもっと増えて欲しいです。

 

鬱の方はダメ人間なんかじゃないです。頑張って頑張って限界まで頑張った証拠です。私は鬱になるまで頑張った過去があるという立派な賞です。

 

私のように前向きに変わっていこうとしている方も、心の傷がずっと跡を残して閉じこもってしまっている方も、全員立派な人です。素敵な人です。

 

焦らなくてもいい、何年かかってもいい。自分の居場所を自分で見つけることによってまた第二の人生が始められる気がします。

 

 

その日のために、今は〝つもり〟でもいいから頑張ります。もう二度とこない23歳という一年を、未来の自分が後悔しないように。そして、たくさん手を貸してくださった方々に1日でも早く恩返しができるように。

 

 

 

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りりべあ

 

新卒1年間を振り返って【職場②:前半】

前回の投稿から1日空いてしまいましたが、今回は前回の職場の退職後について書いていきます。

 

まず、先日お話をした職場を辞めると決めた時、私は辞めることしか考えていませんでした。その為、親に「辞める」と伝えた時は、「辛いなら辞めてもいい。だけど、次の職場が決まってから辞めなさい。」と言われました。

 

実家は元々そんなに裕福な家庭ではなく、平凡な普通の家庭です。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、私、妹、ペットのわんちゃんの6人家族です。賃貸の一軒家に住んでいて、少し古めかしい部分もあります。例えば、表面が紙で作られているふすまに破れた穴が空いていて、そこを和紙補修シールで隠していたり、お手洗いの扉の取手が昔取れてしまい、今もずっと取手部分がない代わりに扉前に暖簾をかけて中が見えないようにしていたり、網戸が開きにくかったり。あと、昔あった大地震の影響で家全体が少し傾いていたり。

今の自分が住んでいる一人暮らしの部屋は一昨年できたばかりの新築でとても綺麗です。取手の形も、洗面台の蛇口の形もお風呂の見た目もお手洗いの形も全て実家とは違っておしゃれです。

その為、帰省するたびに何度も親にはもっと綺麗で安全な家に住んで欲しいと思う反面、その古めかしい雰囲気や懐かしい思い出が詰まった実家が愛おしくなります。

 

引っ越して欲しいと思うけれど、それ以上に生活費にかかるお金が多すぎて引っ越しができるほど我が家にお金は正直ありません。その為、仕送りなどもありません。本当にお金に困った時は親に相談して出してもらいますが、私ももう学生ではなく、大人です。本来ならば私が親にお金を仕送りするべきです。

 

少し余談が入ってしまいましたが、このような私の家庭事情から私が働くことを辞めてしまい、〝ニート〟になると私自身の生活が困ってしまいます。

 

ただ〝辞める〟だけではなく、次の自分の居場所を見つけてからではないとこの場所からは逃げられないと学んだ私は、早急に求人募集サイトで仕事を探しました。

 

そこで見つけたのが、職場②です。

職場②は、大学で学んだことは何も役に立たないほど全くの別世界の職業でした。〝興味とキラキラな世界への憧れ〟。単純な思いで私は別世界へ入りました。

 

 

前職では私服通勤だったのが、スーツ通勤に変わったことは学生の時に初めて制服を着て入学式に行った時と同じくらいの新鮮な気持ちでドキドキワクワクでした。腕時計をつけ、スーツの上からお気に入りのコートを羽織って初めて出勤した時は、なんだか前職では感じなかった〝憧れの都会でキラキラ働く女性〟になれた気がしてかなり照れました。

 

最初はキラキラな世界に入れたことが嬉しくて、苦手なことも積極的に行って頑張れました。ですが、やっぱり新卒とは違って私は〝第二新卒〟という名の〝中途社員〟です。どちらかと言えばほぼ中途社員ですので、最初から求められていることが違います。中途は頑張っているだけではダメなんです。それでは新卒と変わりありません。世の中、頑張ることは当たり前です。例え、新卒時代、半年しか働いていない者であっても。

 

電話対応、言葉の使い方、気の遣い方、努力の仕方、立ち振る舞い。全て前職とは異なり、たくさんお叱りをいただきながらも私は約3ヶ月半程、少しずつですが成長することができました。

 

特に気の遣い方には何度も注意やお叱りを受けました。

 

前職では上司が何か物事をしている時に「すみません、今少しお時間よろしいでしょうか?」と話しかけると「今何してると思う?」と聞かれ、「どこまでやったか〇〇のせいで分からなくなった」「考えていたことが〇〇のせいで抜けてしまった」などと怒鳴られてしまい、そうなるともう私に仕事が回ってこなくなったり、職場全体のピリついた空気が一日中続いてしまいます。

 

その為、いつも上司が今何をしているのか。今考え事をしている時間なのか、それとも休憩をしている時間なのか。常に顔色や行動を伺いながら、話しかけていました。何かの作業中や考え事をしていたら、その行動が終わるまで待ってから話しかけていました。それが前職の〝当たり前〟でした。

 

新卒で学んだ社会人のルールがそれであったことから、中途で入った職場でも同じようなことを度々行っていました。するとある日、先輩から「気遣いって言葉知ってる?」というお話をしていただき、前職では当たり前であっても、それが〝社会人としての当たり前〟とは違うことに気付くことができました。

 

また、別の先輩の方にも「気を遣うという意味を間違って理解して行動していると思いますよ」とお叱りをいただき、〝気遣い〟について教えていただきました。そこで教えていただいたことは、「もちろん時には〝待つ〟ことも大事です。ですが、〝待つ〟だけではダメなんです。待っている間にもできることはたくさんあります。先輩が行っている仕事が早く終わるように、先輩の次の行動を先読みしてお手伝いをするとか。先輩が今何をしているのかを理解して、話しかけていいような簡単な仕事をしていたら、一言だけ〝すみません、質問があるのですが、今お時間よろしいでしょうか〟と言葉をかけてから話し始めることとか。それで無視をしたり怒る先輩なんていないから。〝気を遣う〟とは、今話しかけてもいいのかな?今話しかけたらいけないかな?と悩みながら相手の行動を待つことではなく、今どうしても話しかけなきゃいけない案件なのかを自分で判断した上で、話しかけられる空間を自分から作っていくことですよ」と教えていただき、考え方を変えることができました。

 

ですが、〝それが〟〝それだけが〟正解とは限りません。前職でのやり方も中途で入った会社のやり方も全て正解だと思っています。結局は、上司の性格や会社のやり方によって自分の気の遣い方を変えていかなければいけないんです。

 

職場を変えたことで私はそのことを社会人のルールとして1番学んだ気がします。一つの会社でずっと働いていたら、その会社の当たり前が社会人としての当たり前だと認識してしまう私にとっては、それが転職のメリットなのかなと思います。

 

「頑張らないと」「もっともっと私は努力しないと」「私の頑張りはまだ努力とは言ってはいけないレベルのものなんだ」毎日そう思いながら必死に先輩たちの姿を見て学んでいました。

 

自宅ではできないような練習は、朝早く会社に来ておこなったり、全員帰った後も終電ギリギリまで職場に残って練習をしていました。ですが、私の勉強や練習の仕方が悪かったのか、不足していたのか、普通の方ならできるようになることも私には毎日が精一杯で、できるようになるまでかなり時間がかかってしまいました。そんな私の姿をみて先輩方からもよく「〇〇さんの今後が不安」や「やる気ないようにみえるよ?」とお叱りをいただくようになりました。また、私の勉強ノートをみて、「努力の仕方が間違ってるんじゃない?」「書くだけで絶対満足してるでしょ?」「自分のことをこれで頑張ってるなって思ってない?これは頑張りに入らないよ」と言われ、心の中で「これでも毎日いろんな方法を試しながら休日や寝る時間を削って私なりに頑張っているのにな」と悲しくなることも多くありましたが、周りから見て〝出来ていない〟と思われている間は、どんなに頑張っていても、頑張っていると自分で思っていても、〝頑張っています〟という言葉は口に出せませんでした。

 

徐々に一人の先輩の態度が他の方と私で異なり始め、私が話しかけた時は一度も目が合うことなく一言で返していたのに対して、私と同じ台詞を別の方が言うと、笑顔で更にお話を盛り上げていてその様子を目の前で見ながら胸がチクチクと痛くなりました。

 

暴言、と私が言ってしまったらいけないとは分かっているのですが、そのようなことを言われることも多々ありました。

 

また、一人に話した内容が次の日には職場全体に広まっていて皆が把握していたことは、情報共有だったとしてもプライベートに関する内容であった為、少し怖かったです。その他にも、私の前ではニコニコと振る舞ってくださっていた方も、私のいないところで私とのやり取りのお話しを行い、その後そのやりとりについて直接「〇〇さんから聞いたんだけど、迷惑だって気づかない?」「私は思ってないけど、みんなはそう思ってると思うよ」とお叱りをいただいたこともあり、みなさんの裏の様子を知ってしまってからは笑顔の奥の裏の表情まで考えるようになってしまい、周りが怖くなりました。(やりとりの内容は、迷惑をかけてしまった先輩に長文の謝罪メールを送ってしまったことです。長文のメールを送ることに対して、迷惑だって思わない?とお叱りをいただきました。)

 

もちろん悩んでいる時、辛い時、お話を聞いて下さる先輩もいましたし、みなさん積極的に「お話聞きますよ」と相談に乗ってくれるほどとても優しかったです。ですが、その時の私は半分職場の方を信じられていない部分や怖がっていた部分もあり、話すことによって違う人に話が漏れてしまうんじゃないかなどと思うと少し怖くて素直に辛いことも本当に悩んでいることも話せませんでした。

 

 

前職で〝自分のことでいっぱいいっぱいになって周りの方の優しい部分を私は知れていなかった〟ということを学び、みなさんの優しさに触れた時に自分の醜さに後悔したはずなのに、どうしても優しさの深いところまで考えてしまう自分がいて、またネガティブな感情が暴走し始めてしまいました。

 

 

 

→【職場②:後半】に続く

 

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りりべあ

余談です【このブログを書き始めた経緯】

 

このブログを書こうと思ったきっかけは決して私は今までこんな辛い思いをしてきたんだー!!!!って伝えたいわけではありません。

むしろ、今までの私を曝け出す事によって離れていってしまうのではないかと不安と恐怖でいっぱいです。

 

私はよく弱音をインスタグラムのストーリーに長文として載せてしまう癖があります。

ストーリーで長文を書くことをやめよう、もう今日でやめよう。これ以上載せたら読んでいるみんなを疲れさせて呆れられてしまうかも。また弱音吐いているって面倒な人って思われたらどうしよう。嫌われて離れちゃうかもしれない。私といると疲れるからもう会ってくれなくなるかもしれないと何度も何度も思いながら、それでもどうしても載せてしまってずっと辞められませんでした。正直気を抜けば今でも載せてしまいます。

 

周りの方がそんな酷い人ばかりだと思ってたの?!とかそういうのではなく、ただ単に人はどれほど優しい方でも何か些細なことがキッカケで気付かないうちに離れていってしまうと分かっているからです。

 

昔はその人からどんなに好かれていたとしても、今の私の姿を見て、今の私の状態を知って、そっと離れていく人は多いと思います。実際に鬱になって友人を失ったと言う方もたくさんいらっしゃいます。そのお話を聞くたびに私は全てを曝け出すことはとても怖かったです。

 

それでも中には全てを優しく受け止めて心配してくれる人がいる、生活を手助けしてくれる人がいる、温かい言葉をかけてくれる人がいる。その存在を知ったことで私は今生きています。

昔とは違う変わってしまった私に、変わらずに今まで通りに接してくれて、会ってくれる人がいます。

 

誰かに話すことで、一人で考えていたことがスッと少し軽くなって眠れなかった夜が眠れるようになったり、一人になることが怖かった時も全てを受け止めてくれる方がいると分かったおかげで一人の時間もリラックスして過ごせるようになりました。

 

それでも今でも、家族にはこの鬱状態だったことは話せていませんし、今、抑鬱状態で仕事を辞めたことも話せていません。未だに仕事を続けていると嘘をついています。また、初めてこのことを話す時は不安と恐怖で心臓はバクバクしちゃいます。

 

 

ですが、話す事によって救われる心もあるから私は周りの方に全てを話し、嫌われても離れられてもいいからという思いで曝け出すようになりました。当時の酷い状態だった時の私は、同じ経験をしてきた方のお話が一番の心の救いになっていたからです。

 

同じ経験をしてきた方の話を聞くことで、こんなにも辛い思いをしているのは私だけじゃないんだ。みんな同じなんだ。一人で抱え込まなくていいんだ。と思えるようになったり、同じ思いをしてきた方はよく「逃げることは甘えじゃないよ。時には自分を守る為に逃げることも必要だよ。」と言ってくれます。その言葉で私の心はすごく軽くなりました。

 

もちろん、辛くても逃げずに一生懸命毎日働いている方からしてみたら甘えと思われても仕方ないですし、精神が弱いと思われても仕方ありません。私以上に辛い思いをして働いている方も世の中には数えきれないほどいらっしゃるのも分かっています。それでも、私は自分の命の危機を感じて自分を守る為に逃げました。

 

逃げた後、後日職場にお礼の挨拶をしにいくと、職場の方はとても優しかったです。その優しさが更に苦しかったです。逃げた私に、弱い私に、そんなに優しくしないで。私のこともっと嫌いになって。辞めた後に今まで自分のことでいっぱいいっぱいで見えていなかった職場の方の優しさが見えるようになって、すごくすごく心が押しつぶされそうになりました。私はこんな優しい方たちのこと何も知らずに勝手に自己嫌悪して、勝手に自分のことを追い詰めて、勝手に暴走していただけなんだと思うと自分の心の狭さと醜さが嫌になりました。

 

中途で入社した職場についてはまた次回お話しをさせていただきますが、そちらの職場の方も優しかったです。ですが、周りの方の些細な一言や行動によって私の感情的にも色々とあり、結局そちらも精神的にも体調面にも症状が出てきてしまい、退職致しました。

 

だからこそ私と同じような経験をする方を少しでも減らせるように、周りの方だけではなく、知らない初めましての方からも見れるようにブログを始めました。

 

 

私はお話しをする事は大好きですが、日本語が下手くそすぎて周りに誤解をさせてしまうことも多くあります。

 

 

もしかしたら前の職場の方がいつかはこのブログに辿り着く時もあるかと思います。(無い可能性の方が高いですが)前の職場の方に限らず、もしかしたらこのブログを読んで不快に感じさせてしまうこともあるかもしれません。

 

ですが先程から載せている事は過去(当時)の気持ちです。

 

 

今、少しずつ精神面も回復してきて、毎日ほんの一ミリずつですが前向きになれるようになってきました。

 

 

今の私が思う事は、鬱になってでもその職場で働けた事、その職業として少しでも携われた事。私の駄目なところを指摘してくださった先輩方のおかげで自分の欠点に気づけた事。すごく良い経験になりましたし、鬱になったことでより一層周りの方を大切にしたいという気持ちが強くなりました。

なので、今も症状や治療は続いていますし、毎日情緒不安定で夜になると弱音を吐いてしまったり、泣いてしまうことが多かったり、一人で人目の多い場所に行くと呼吸が浅くなってしまうことがありますが、誰かのために私も生きていきたいのでもう「死にたい」なんてことは口に出さないと決めました。

 

今、ほとんど自宅で過ごしていて、たまに買い物に出かけた時に、人との触れ合いがあると泣きそうになってしまいます。例えば、今日の出来事で言うと、100円ショップのレジに並んでいた時に、前でお会計をしているおばあちゃんが傘を落としてしまい、それを拾って渡しただけで、おばあちゃんだけではなく、レジの方まで一緒に笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれました。その瞬間、目頭が熱くなって泣きそうになったのを必死で堪えました。

 

誰かの人生にとって一ミリも残らないちっぽけな出来事であっても、たった一言「ありがとう」という言葉や笑顔がこんなにも私の人生にとって大きく心に残り、この笑顔を見れただけで私は今日も生きていて良かったと、人と触れ合える時間が減った事で言葉や笑顔の大切さの重みを感じることができました。

 

今の私は働くことが正直怖いです。

人が多いところに一人で行くなんて今の私には難しい問題です。

ですが、人を嫌いになったわけではありません。

昔からずっと変わらず、私は人が大好きです。

人も、動物も、みんな大好きです。

 

だからこそ、また、どんな形でもいいので人や動物の役に立てて、笑顔が直接見えるお仕事がしたいという夢に向かって頑張ります。

 

 

鬱になって失ったものもあれば、手に入れたものもあります。

 

 

余計なことも挟んでしまい長くなってしまいましたが、このブログを読んで少しでも心の逃げ場にしてくれると嬉しいです。

 

 

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りりべあ

新卒1年間を振り返って【相談窓口に送った内容】

今回は消えたくて仕方がなかった時に、相談窓口に送ったメールの内容を私情の部分は少し省いておりますが、仕事関連のところのみお見せします。(会社の名前や職業名は〇〇という形で伏せさせていただきます。)

 

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私は都内の〇〇に今年の4月から新卒で入りました。
〇〇という職業をしています。
5年前に〇〇(職業名)を目指して地方から上京してきました。

 

社会人になってからは毎日失敗の連続で怒られてばかりで正直泣いてばかりでしたが、それでも憧れの職業だった為、毎日反省ノートを書いて復習をし、休みの日も1、2時間でも隙間時間に必ず勉強していました。
ですがいくら復習をして予習までしても、私の性格上、周りがバタバタし始めると焦ってしまい、パニックになってしまうんです。頭が真っ白になり、手が震え、声が出なくなり、体が固まって何も考えられなくなります。
そのため、そんな状況の中で復習してきたことを指示出されても焦ってしまい、またミスをしてしまい怒られていました。私には同期が1人います。男性です。その方は周りをよく見れて気配り上手で愛想も良くて上司や先輩からも可愛がられています。一方で私は、大学生までずっとよく笑い明るい性格であったため褒められることが多かったのですが、この職場に就いてからは失敗することが怖くなり、上手く笑えず言葉を発することもできなくなってしまい、とても暗くて愛想の悪い新人です。
ある時から、先輩たちの同期と私に対する態度が違うことに気づきました。私がいないところで私のことを言ってることも気づいた時はその場から消え去りたいほど目の前が真っ暗になりました。手の震えは止まらなくて怖かったですが、嫌なことは聞かなかったことにしようと前向きに頑張りました。でも、どんなに前向きになろうとしても、1度そのような場面を知ったからには気にしてしまうんです。上司や先輩も私のせいで今イライラしてるんだな、私がいるからみんなストレスになっちゃうんだなと考えるようになり、自分の存在が職場にとって有害だということに気づきました。

 

自己嫌悪の沼にハマり、何度もこの場から消えたいと勤務中に思うようになり、精神的に苦しくなってきた時に生理不順、不正出血が起こるようになったり貧血、食欲不振、腹痛、耳が一瞬聞こえなくなる、耳鳴りがする、体の中に重りがずしんとくるように動けなくなる、頭がボーとする、やる気が出なくなる、集中力や記憶力がなくなる、悪寒がする、といった体にも異変が起こるようになりました。最近は憧れだったはずのこの職業にも周りのペースについていけなくなったこともあり、辞めたいと思うよりになりました。親に泣きながら相談したら、「そんなに辛いなら辞めて実家に帰っておいで」と言ってくれたので、決意をし、上司に退職を考えていると口頭で伝えました。上司からは、体に異常が起きてることは俺からは何も言えないから婦人科の先生と相談しておいで、焦らずに退職についてはゆっくりと考えていいよと言われ、そのことを親に伝えると、この前まではすぐに帰っておいでと言ってくれていたのに、辞めることを反対されました。
その理由はとても分かります。私が自己中なんです。
上京してもらった身なのに、もう辞めて実家に戻りたいと言っているのですから。たくさんのお金がかかっていることなんて分かっています。
ですがもう精神的にも身体も辛いんです。悲鳴をあげているんです。

7月には熱中症になり、3日間ダウンして職場を休んだことがありました。そして今日、酷い生理痛と貧血が起こり立ち上がれなかったため、仕事を休み、婦人科に行ってきました。検査を行い、結果はまた後日わかるとのことです。職場に連絡をしましたがきっとみなさん生理痛なんかで休んだことに対して呆れていると思います。職場に行くのが正直怖いです。

友人も体を心配してくれていますが、これ以上私が友人にこんな暗い話をすることによって、友人の心さえ暗くしてしまい、鬱のようになってしまうのではないかと深く考えてしまうと私はもう誰にもこのことを話さない方がいいのかと思うようになり、誰にも頼らず誰にも迷惑をかけずに生きていきたいです。
親にももう何も頼りません。迷惑かけたくないです。心配かけたくないです。お金で困らせたくもないです。

職場の人にとっても、親にも、友人にも、有害しかもたらさない私は消えた方がいいと何度も思い、毎日帰り道に誰か私を殺してくれないかなと思うようになりました。何度も何度も毎日自分が死ぬシチュエーションを想像するようになりました。私の存在が周りのみんなを不幸にさせてしまうのなら、私なんて消えた方がいいです。
周りの人を幸せにしたいのに、幸せにできないのなら生きてる意味はありません。

 

今もこの文を打ちながら泣いています。
涙が止まりません。
明日が来ることがとても怖いです。
もうこんな私には明日なんて来なくていいです。
こんな私にあげる明日があるのなら、もっと他の方たちにわたしの明日をあげたいです。
私は周りのみんなが幸せでいてくれるならそれで十分です。なのでどれだけ周りから影で言われても、その人たちがそれで幸せを感じているのならそれでいいんです。
私以外に傷ついている人がいないのなら、それでいいんです。でも、この状況から逃げたい私もいます。
退職するにしても、即日退職は出来ないため、その間の働いてる時間を考えると苦痛です。周りの目が怖いです。

長くなってしまってすいません。
こんなことで死にたいと思ってるのかと思われるかもしれませんが、今の私にはこの現状が辛くて仕方ありません。

 

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今考えると当時は生理痛や貧血が原因で休んだと言っていますが、それ以外にも精神的に立ち上がれない理由があったから仕事に行かなかったのかなと思います。ただ、それは私の精神が弱かっただけの話なので当然社会人としてやってはいけないことです。

 

冷静に考えるとわかることなのに、その時は〝社会人として〟という言葉なんて全く頭に浮かばず、ただ消えたい死にたい行きたくないという気持ちしか考えられませんでした。

 

 

後日、検査結果を聞きに婦人科に行ったところ、所々数値が高いという結果から、医師に「このまま放っておいたら不妊症になるから一旦仕事を休んだ方がいいよ」と言われ、将来赤ちゃんができなくなることが怖くて休職を決断しました。

 

 

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新卒1年間を振り返って【職場②】に続く

 

 

 

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りりべあ

新卒1年間を振り返って【職場①】

はじめまして。

23歳独身女性のりりべあです。

私は地方で育って5年前に大学進学と共に上京して今は都内で一人暮らしています。

 

4年大学を卒業したのは約1年前。

そして、新卒として社会人デビューしたのも約1年くらい前です。

 

高校生の時から憧れていた職業。

自分には無理だろうと学生時代に諦め半分で勉強を続けていましたが、自分にとってこの職業名や仕事の内容に誇りをもっていたので実際に働き始めると毎日ひとつできることが増えたり、新しい知識を学ぶことができたり、来てくださる方とコミュニケーションをとることにとても幸せを感じていました。

 

でも数ヶ月経つと、たった一人の同期と比べられてしまうようになり、私には簡単な仕事しか回ってこなくなりました。同期は男性、私は女性。力の強さの違いが理由だと先輩は気を遣って言ってくれましたが、きっとそれはただの優しさから生まれた嘘であって、本当は私の無能さが理由だったのではないかと思っています。全員のミスを私個人のミスだと上から指摘され、全員の前で個人で怒鳴られた日もありました。その日は私に仕事が回ってくることは一度もなく、ずっと冷たい視線を向けられ、心臓付近に鉛のような重たいものがズドンと落ちてきた感覚になり、身体がその場から動かなくなりました。

 

そこから私のネガティブ思考は悪化し、毎日自己嫌悪を繰り返すようになりました。

 

元々私の性格を一言で表すと「マイペース」。

のんびりやで完全な平和主義者。

人の陰口を聞くことすら苦手で周りが不穏な空気になると心臓が圧迫されたような苦しさでいっぱいになって自分が言われてなくても勝手に泣きそうになる程辛い気持ちになってしまうので、いつも争いごとからは逃げてきました。

そのため、誰かと競争することも苦手です。

勝ち負けがハッキリと分かってしまう勝負ものも正直苦手です。

 

そんな私だからこそ学生時代は、常に時間との勝負で、時には命の危機にも関わってくるこの職業に就くことを周りから心配されることも多々ありました。

それでも私は自分のことを「根性だけはある」「自分から始めたことはどんなに辛くても耐えられるし最後までやれる」といった学生時代の経験から勝手に思っていました。

 

結局、そう思えたのは自分がまだ〝学生〟だったからであって、社会人を甘くみすぎていました。

学生と社会人は違う。分かっていたはずなのに、上手くはいきませんでした。

 

自己嫌悪は毎日続き、先輩からは聞こえるような陰口が聞こえ、耳にシャッターを閉じて聞こえないふりを毎日していました。

 

働き始めて約3ヶ月後、鉛のような重いものはあれからずっと消えることはなく、毎日仕事中は私の心臓付近に何度も重く落ちてきました。そのせいで身体が硬直し、頭の中は真っ白になり、手足の震えが止まらなくなりました。

 

精神的なストレスから生理周期もおかしくなり、毎日出血が続くようになったので貧血も頻繁に起こすようになりました。

 

きっとその頃からだったと思います。

私は気づかないうちに、〝鬱状態〟になっていました。

 

鬱状態になった時って、いつからなのかと聞かれても分からないし、初期症状を聞かれても分からないんです。〝いつの間にか〟なんです。

なので気づいた時にはもう遅いんです。

 

自分が毎日泣きながら帰っていたことも、休日も仕事の勉強に追われて泣きながらやっていたことも、出勤前に貧血を起こすことも、出勤中手足の震えが止まらないことも、何度も重く落ちてくる鉛の存在も、身体が硬直して動かなくなることも、1人になると勝手に涙が溢れ出て止まらなくなることにも全て気づいていたのに、それが鬱になる前兆だったということには全く気づきませんでしたし、自分は大丈夫だと思い込んでいました。

 

大丈夫だと思いながら過ごしていると、帰り道に「こんな私に明日が来るなら、他の人に私の明日をあげてほしい」と思うようになり、毎日泣きながら空を見上げて線路の真ん中に立ち、踏切が閉まるのを待つようになりました。

閉まる直前で、こんな死に方をしたら大勢の方に迷惑がかかるんだと我に帰って急いで踏切を渡るのですが、家に着くとぼーとした頭で無意識に「誰にも迷惑がかからない死に方」「自殺の仕方」「見つからずに死ぬ方法」「消える方法」と検索してはたくさんのサイトを泣きながら眺めていつの間にか泣き疲れて眠りにつくようになりました。

 

その頃の私の検索履歴は全て自殺関連のことでした。誰かに話したら楽になるかと思い、自分の住んでいる区役所の相談窓口にメールを送りました。でも返ってきた返事は私の求めていたものとはかけ離れていて何も解決しませんでした。

この気持ちは誰にも理解してもらえないのかなと本気で死ぬことを考えた時、友人から心配しているという連絡がきてその時初めて身近な人に詳しく相談しました。友人からの言葉は区役所の方よりもずっと私に寄り添ってくれて、少し心が軽くなりました。それから少しずつ周りの方に「辛い」ということを素直に伝えるようになりました。

 

当時は自分の検索履歴を見てもメールを送った時も鬱だとは思っていませんでした。

今思うと、あれは鬱だったんだなって感じです。

 

ギリギリまで話さなかったのは、周りの方を信じていなかったわけじゃない。

周りの方が大切だからこそ、周りの方を私の暗い気持ちに巻き込みたくなくて、死にそうになる直前まで一人で抱え込むというか少し辛いと話していても、詳細は話していませんでした。

でもそれは完全に間違っていました。

 

最初から誰かに「辛い」「消えたい」って言えていたら、私は線路の真ん中で止まることなんてなかったし、もう少し強く生きられたのかなと思います。

 

 

そして入社して半年が経った頃、まずは休職をすることに決め、休職後、私はその会社を退職しました。

 

 

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最後まで読んで下さり本当にありがとうございます。

 

今、私と同じような経験をしている方、辛くて毎日消えたいと思っている方に少しでも私の経験談がお役に立てればと思います。

 

 

次回は、当時区の相談窓口に送ったメールを載せた後、2回目の職場について詳しくお話しします。

 

 

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りりべあ