やさしい気持ちになるための日記

抑鬱持ち独身女性の素のままに

新卒1年間を振り返って【職場①】

はじめまして。

23歳独身女性のりりべあです。

私は地方で育って5年前に大学進学と共に上京して今は都内で一人暮らしています。

 

4年大学を卒業したのは約1年前。

そして、新卒として社会人デビューしたのも約1年くらい前です。

 

高校生の時から憧れていた職業。

自分には無理だろうと学生時代に諦め半分で勉強を続けていましたが、自分にとってこの職業名や仕事の内容に誇りをもっていたので実際に働き始めると毎日ひとつできることが増えたり、新しい知識を学ぶことができたり、来てくださる方とコミュニケーションをとることにとても幸せを感じていました。

 

でも数ヶ月経つと、たった一人の同期と比べられてしまうようになり、私には簡単な仕事しか回ってこなくなりました。同期は男性、私は女性。力の強さの違いが理由だと先輩は気を遣って言ってくれましたが、きっとそれはただの優しさから生まれた嘘であって、本当は私の無能さが理由だったのではないかと思っています。全員のミスを私個人のミスだと上から指摘され、全員の前で個人で怒鳴られた日もありました。その日は私に仕事が回ってくることは一度もなく、ずっと冷たい視線を向けられ、心臓付近に鉛のような重たいものがズドンと落ちてきた感覚になり、身体がその場から動かなくなりました。

 

そこから私のネガティブ思考は悪化し、毎日自己嫌悪を繰り返すようになりました。

 

元々私の性格を一言で表すと「マイペース」。

のんびりやで完全な平和主義者。

人の陰口を聞くことすら苦手で周りが不穏な空気になると心臓が圧迫されたような苦しさでいっぱいになって自分が言われてなくても勝手に泣きそうになる程辛い気持ちになってしまうので、いつも争いごとからは逃げてきました。

そのため、誰かと競争することも苦手です。

勝ち負けがハッキリと分かってしまう勝負ものも正直苦手です。

 

そんな私だからこそ学生時代は、常に時間との勝負で、時には命の危機にも関わってくるこの職業に就くことを周りから心配されることも多々ありました。

それでも私は自分のことを「根性だけはある」「自分から始めたことはどんなに辛くても耐えられるし最後までやれる」といった学生時代の経験から勝手に思っていました。

 

結局、そう思えたのは自分がまだ〝学生〟だったからであって、社会人を甘くみすぎていました。

学生と社会人は違う。分かっていたはずなのに、上手くはいきませんでした。

 

自己嫌悪は毎日続き、先輩からは聞こえるような陰口が聞こえ、耳にシャッターを閉じて聞こえないふりを毎日していました。

 

働き始めて約3ヶ月後、鉛のような重いものはあれからずっと消えることはなく、毎日仕事中は私の心臓付近に何度も重く落ちてきました。そのせいで身体が硬直し、頭の中は真っ白になり、手足の震えが止まらなくなりました。

 

精神的なストレスから生理周期もおかしくなり、毎日出血が続くようになったので貧血も頻繁に起こすようになりました。

 

きっとその頃からだったと思います。

私は気づかないうちに、〝鬱状態〟になっていました。

 

鬱状態になった時って、いつからなのかと聞かれても分からないし、初期症状を聞かれても分からないんです。〝いつの間にか〟なんです。

なので気づいた時にはもう遅いんです。

 

自分が毎日泣きながら帰っていたことも、休日も仕事の勉強に追われて泣きながらやっていたことも、出勤前に貧血を起こすことも、出勤中手足の震えが止まらないことも、何度も重く落ちてくる鉛の存在も、身体が硬直して動かなくなることも、1人になると勝手に涙が溢れ出て止まらなくなることにも全て気づいていたのに、それが鬱になる前兆だったということには全く気づきませんでしたし、自分は大丈夫だと思い込んでいました。

 

大丈夫だと思いながら過ごしていると、帰り道に「こんな私に明日が来るなら、他の人に私の明日をあげてほしい」と思うようになり、毎日泣きながら空を見上げて線路の真ん中に立ち、踏切が閉まるのを待つようになりました。

閉まる直前で、こんな死に方をしたら大勢の方に迷惑がかかるんだと我に帰って急いで踏切を渡るのですが、家に着くとぼーとした頭で無意識に「誰にも迷惑がかからない死に方」「自殺の仕方」「見つからずに死ぬ方法」「消える方法」と検索してはたくさんのサイトを泣きながら眺めていつの間にか泣き疲れて眠りにつくようになりました。

 

その頃の私の検索履歴は全て自殺関連のことでした。誰かに話したら楽になるかと思い、自分の住んでいる区役所の相談窓口にメールを送りました。でも返ってきた返事は私の求めていたものとはかけ離れていて何も解決しませんでした。

この気持ちは誰にも理解してもらえないのかなと本気で死ぬことを考えた時、友人から心配しているという連絡がきてその時初めて身近な人に詳しく相談しました。友人からの言葉は区役所の方よりもずっと私に寄り添ってくれて、少し心が軽くなりました。それから少しずつ周りの方に「辛い」ということを素直に伝えるようになりました。

 

当時は自分の検索履歴を見てもメールを送った時も鬱だとは思っていませんでした。

今思うと、あれは鬱だったんだなって感じです。

 

ギリギリまで話さなかったのは、周りの方を信じていなかったわけじゃない。

周りの方が大切だからこそ、周りの方を私の暗い気持ちに巻き込みたくなくて、死にそうになる直前まで一人で抱え込むというか少し辛いと話していても、詳細は話していませんでした。

でもそれは完全に間違っていました。

 

最初から誰かに「辛い」「消えたい」って言えていたら、私は線路の真ん中で止まることなんてなかったし、もう少し強く生きられたのかなと思います。

 

 

そして入社して半年が経った頃、まずは休職をすることに決め、休職後、私はその会社を退職しました。

 

 

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最後まで読んで下さり本当にありがとうございます。

 

今、私と同じような経験をしている方、辛くて毎日消えたいと思っている方に少しでも私の経験談がお役に立てればと思います。

 

 

次回は、当時区の相談窓口に送ったメールを載せた後、2回目の職場について詳しくお話しします。

 

 

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りりべあ