やさしい気持ちになるための日記

抑鬱持ち独身女性の素のままに

お久しぶりです

 

最近転職活動に追われていたため、なかなか書けていませんでした。

 

6月に入ってから、大好きだったInstagramから距離を置きました。Instagramは、大好きな人たちと連絡が取れていなくても、離れていても、いつでも繋がれているような気がして大好きです。ですがその反面、自分自身が辛い時、寂しい時、その存在に甘えてしまいます。辞めよう、今日こそ辞めよう。そう思っていてもつい甘えてしまうんです。甘えてしまった後は、後悔と罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになります。

Instagramを辞めるということも考えましたが、Instagramでしか繋がれていない学生時代の友人がたくさんいるため、辞めてしまうともう連絡が取れなくなってしまうかもしれません。それは避けたいと思い、いつでもログインしたら戻れるよう、アカウントは残したままアプリを消しました。

 

 

Instagramを辞めてから少し心が軽くなった気がします。友人関係に悩んでいたわけではなく、人に依存してしまっていた自分が少し自立できた気がして、自己嫌悪をする機会が減ったからです。大好きな方達の近況が見えなくなったことはとても寂しいですが、なりたい自分になるためには必要なことだと自分で思っているため、今は自分を変える期間と言い聞かせて前向きに頑張っております。

 

転職活動を始めたからといって、完全に抑鬱が治ったわけではありません。今も薬を飲んでおりますし、人が密集している場所に一人で行くと酸素がうまく回らなくなって呼吸が苦しくなったり、冷や汗、全身の痺れ、吐き気、視界が真っ白になって立つ気力さえ失い、立てなくなるといった症状が頻繁に現れます。夜も一人が怖くなって眠れない時もありますし、一日中何も考えられなくなってただぼーっとする時間がゆっくり流れていく時だってあります。

 

特に金銭面では親に相談できず、友人にもこれ以上借りるわけにもいかないのでギリギリで生きています。家賃、光熱費、奨学金合計で10万以上かかるので払えるところまで払って、残りは延滞してもらっています。

 

「働かざる者食うべからず」

本当にその通りです。だからこそ、自分で解決したいです。友人や周りの大人から借りなければ正直私はもう生きていけません。ですが、そのお金はその方が一生懸命働いてきた証拠です。がんばった形跡です。そのお金は、がんばった自分自身のご褒美として使ってほしいです。働いてもいない私が使っていいものではありません。そう考えると、どれほど今の自分の生活環境が厳しくても、お金を借りることはできません。

 

私は、今までの人生でたくさん辛いこともありましたが、それでも幸せな時間を過ごした時の幸福感が今でも忘れられず、たくさんの素敵な方々に囲まれて素敵な人生を歩んできたと思えます。

 

それに、こんなにも落ちぶれてしまった私を見て、笑わずに優しく手を差し伸べてくれる方や、離れずに支えてくださる方がいる。

それだけで、充分幸せです。幸せすぎます。こんなにも幸せなことはありません。

 

もう、「死にたい」なんて言葉は口には出しませんが、強くそう願っていたあの頃とは違い、今は「充分幸せな人生だったから、いつ死んでもいい」と思っています。自分から死を望むのではなく、その時が来たらそれも私の人生なのかなって。いつ死んでも私は幸せです。

 

なので、今はたくさんの大人の方や友人に迷惑をかけてしまっている部分もありますが、なるべく一人で生きていけるよう、毎日考えながら生きています。

 

今手元にある500円が全てなくなってしまったら、私はどうなるんだろう。不安に毎日襲われますが、そんなことを考えるよりも先に職を見つけて少しでも早くご迷惑をお掛けしてしまった大人達に、友人に、お金を返せるように必死で職探しをしている段階です。

 

 

先日は一社面接に受けに行きました。

ですが、面接の際に私だけではなく、親や姉妹の個人情報を深く聞かれてしまったことに恐怖と不信感を感じてしまい、選考を辞退してしまいました。

 

また、その面接時に自分が〝抑鬱持ち〟だということを隠せなくなり、正直にお話ししました。

その際に、やっぱり今改善しようといくら努力をして少しずつ前向きに前進していても、少しでも過去に〝抑鬱〟という経歴があればその努力も関係ないんだなと思いました。

 

「なんでこの世界は鬱の方々に優しくない社会なんだろう」

 

「もちろん先輩は正しかったのかもしれない。それでも私は精神的に辛かった。パワハラを受けている気分だった。でも、それを私がパワハラと決めつけてしまえば、全て先輩が悪いことになってしまうからそれは違う。でも、なんで、私だけがこんなにも崖っぷちで生きていかなきゃいけないんだろう。」

 

と帰り道に何度も何度も思って、涙が溢れそうになっても「私は大丈夫、変わってきてるんだから大丈夫。もう泣いちゃダメ。泣いたらまた元に戻っちゃう。」と頑張って堪えましたが、それでも胸の痛みは治りませんでした。

 

面接で、退職理由に〝パワハラを受けておりました〟なんてことは言えません。なのでどんなことであっても、〝自己都合〟となり、会社側からしてみたら〝精神力が弱い人間〟。それだけが残ります。

 

実際にそれは当たっています。私の精神力は弱いです。お豆腐メンタルかもしれません。それでも頑張って限界まで耐えてきたつもりでした。私なりに、私の限界を越えるまで我慢してきました。強く、強くなろうって何度も言い聞かせて逃げずにやってきたつもりでした。〝つもり〟です。

 

頑張っていたかどうかなんて自分で決めるものじゃなく、周りから見た他人が判断することです。なので、いくら自分では必死で頑張っていてもそれが周りに伝わっていないと、結局は〝つもり〟なんですよね。きっと。それを前職で学びました。

 

「頑張っています」「頑張りました」「努力しました」全部、全部それは〝綺麗事〟。誰も認めてくれないから自分で自分を認めるために使う言葉です。「頑張っているね」「頑張ったね」「努力してるね」その言葉を言われて初めて、〝頑張った〟〝努力した〟って言っていいんだなって学びました。

 

 

一度鬱になってしまえば、転職は厳しい道です。お金がなくなる一方です。鬱になってしまう人なんて当然どこも欲しがりません。なので面接では強がる必要があります。もちろん、面接だけではなく、入った後はもっともっと強がって生きていかないといけなくなります。

 

「またダメにならない?大丈夫?」

「ここではもう失敗しちゃいけないんだよ?強がって生きていく覚悟ある?」

 

求人を見つけては何度もそう自分に問いかけ、覚悟を決めた時に応募するようにしていますが、私だけではなく私と同じように悩んでる方はこの世界にもっともっと沢山いるはずです。

 

みんなはどうやって生きているんだろう。大丈夫かな。と心配になります。

 

 

だからこそ、もっと、もっと、日本中が〝鬱〟と戦っている方々に優しい社会になって欲しいなって強く思います。その方の過去ではなく、変わった現在の姿を大事にしてくれる会社がもっと増えて欲しいです。

 

鬱の方はダメ人間なんかじゃないです。頑張って頑張って限界まで頑張った証拠です。私は鬱になるまで頑張った過去があるという立派な賞です。

 

私のように前向きに変わっていこうとしている方も、心の傷がずっと跡を残して閉じこもってしまっている方も、全員立派な人です。素敵な人です。

 

焦らなくてもいい、何年かかってもいい。自分の居場所を自分で見つけることによってまた第二の人生が始められる気がします。

 

 

その日のために、今は〝つもり〟でもいいから頑張ります。もう二度とこない23歳という一年を、未来の自分が後悔しないように。そして、たくさん手を貸してくださった方々に1日でも早く恩返しができるように。

 

 

 

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りりべあ